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みなさん、こんにちは。
前回のEF60 501はいかがだったでしょうか?
今年は順調に作品が出てきており、BトレEF55、16番EF60 501、16番機関区検修庫と、早くも3作品が登場しております。
近頃は家からも出られませんので、専ら通販で取り寄せたパーツを使って加工に勤しんでおります。
というわけで、早速次のシリーズに入りたいと思います。
今回もまた機関車に関連した作品となりそうです…
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◆懐かしの中央東線客レ
今回は懐かしい中央東線の客車列車を作って行こう、という企画になりました。
あまりにもイキナリなようですが、そもそも私自身がロクヨンが好きなこと、更にロクヨンと合わせたい35系列客車の素材が中古で安価に手に入ったことから、この企画となりました。
今回はロクヨンこと…EF64形0番台の制作も並行しながら進めていきたいと思います。
さて、中央東線の客車列車は1975年に消滅していますから、実に45年も前の話になるわけでございます。
日本有数の勾配線区であることから、早くに電車化が進められたことで、他線区よりも早くに客車列車が消滅したわけですね。
中央東線の客車列車牽引機は1971年からEF64に置き換わり、それを機に客車の電暖車へ切り替えがあったため、客車の面々はこの年を機にメンバーが大きく入れ替わります。
中央東線の客車たちは東から、東京西局の飯田町客貨車区、甲府客貨車区、そして長野局の長野運転所の車が主に使用され、それぞれ一つの列車においては同じ所属区の客車で組成されることが基本でした(荷物、郵便客車は除く)。
さて、今回編成を考える上で、組成上の基本を押さえると
・電暖車と蒸気暖房車の混成はほぼ無い
・EF64牽引を前提とした場合、電暖車での組成が基本
・所属区を跨いでの客車組成もほぼ無い
となります。
まずは編成記録を探してみました。
記録に則れば、まず基本を崩すことはありませんな。
各書籍を漁ると、時代を問わず多数の記録が出てきました。
先達の方々に感謝です。
次にその記録に基づいて、形式写真を探してみました。
…うーん、出てこない。
そうなんです。
中央東線の客車たちの形式写真は意外と少なかったのです。
しかも時代を絞れば絞るほどに出てこない…
編成を絞れば尚のこと…
とはいえ仕方ありませんね。
45年も前、しかも最末期でないとすると、もう既に半世紀が経とうとしているのですから。
そこで今回は!
・1971年をベースに前後5年に所属した車両で組成すること
・形式写真が出てきた車両から製作すること
・甲府客貨車区所属車を基本とすること
とし、編成記録に基づかない、更に言えば時代を超えてでも組成を可能とすることとし、中央東線の特徴的な車両たちを再現することにしました。
中央東線には特徴的な車両がたくさん存在していました。
今回はその愉快な面々を、客車1両1両を楽しむことをベースに製作を進めていきます。
読者の皆さまにも、中央東線の客車たちを楽しんで頂けたら嬉しく思います。
◆早速制作開始
今回は久々に製作記を書いていきたいと思います。
客車製作を進める上で、経済的な理由などから(笑)、以下の考え方で進めていきます。
①個体差がわかるものは確実に再現すること
②両サイドビューを把握することは不可能に近いため、判別不可な点に関しては、「判別できる点」に基づくこと
③妻面は最後尾に連結する可能性のある車両のみパーツ課金とすること(一部除く)
①は私の製作モットーから、いつもどおりのことですね。
②に関しては扉形状や、妻面に関してのことになります。
旧型客車は扉が4枚共に違っていてもおかしくありませんが、大抵記録として残っているのは1枚のみです。
つまり4位全てから車両を観察することは不可能に近いというわけです。
ですから、1枚の写真でわかる限りを全てとし、わからない部分は「わかる部分」に基づくものとします。
これは妻面でも言えることですね。
③は完全に金銭的なところですね(笑)
妻面端梁の電暖、蒸気暖房なども、オミットしたいと思います。
なるべく楽できるところは楽をし、金をかけなくて済むところは省略したいということです(((
しかし、目立つ点に関しては課金をしたいと思います。
非緩急車の妻面唯一の出っ張りである標識掛けと、モールドの足が太すぎる(というか二本脚が繋がって1本になっている)丸妻車の屋根上ステップはパーツ交換対象とします。
なお、元々しっかり2本脚として再現されている屋根上ステップは交換しないこととします。
と、言うわけで一通り説明した訳ですが…
今回は文章だらけで非常に読みづらいモノになってしまいました。
制作記は次回の①からスタートです。
今日は自分へのメモがてら書いてみました(爆
今回は8〜9両編成を予定しておりますが、いつかまた素材が集まってきた頃に第二編として増結の章を展開したいなぁ〜とぼんやり考えております(笑)
まぁでも先ずは今回の章をしっかり完結します(滝汗
それではまた次回。
みなさま、ご機嫌よろしく、さようなら。
◆懐かしの中央東線客レ
今回は懐かしい中央東線の客車列車を作って行こう、という企画になりました。
あまりにもイキナリなようですが、そもそも私自身がロクヨンが好きなこと、更にロクヨンと合わせたい35系列客車の素材が中古で安価に手に入ったことから、この企画となりました。
今回はロクヨンこと…EF64形0番台の制作も並行しながら進めていきたいと思います。
さて、中央東線の客車列車は1975年に消滅していますから、実に45年も前の話になるわけでございます。
日本有数の勾配線区であることから、早くに電車化が進められたことで、他線区よりも早くに客車列車が消滅したわけですね。
中央東線の客車列車牽引機は1971年からEF64に置き換わり、それを機に客車の電暖車へ切り替えがあったため、客車の面々はこの年を機にメンバーが大きく入れ替わります。
中央東線の客車たちは東から、東京西局の飯田町客貨車区、甲府客貨車区、そして長野局の長野運転所の車が主に使用され、それぞれ一つの列車においては同じ所属区の客車で組成されることが基本でした(荷物、郵便客車は除く)。
さて、今回編成を考える上で、組成上の基本を押さえると
・電暖車と蒸気暖房車の混成はほぼ無い
・EF64牽引を前提とした場合、電暖車での組成が基本
・所属区を跨いでの客車組成もほぼ無い
となります。
まずは編成記録を探してみました。
記録に則れば、まず基本を崩すことはありませんな。
各書籍を漁ると、時代を問わず多数の記録が出てきました。
先達の方々に感謝です。
次にその記録に基づいて、形式写真を探してみました。
…うーん、出てこない。
そうなんです。
中央東線の客車たちの形式写真は意外と少なかったのです。
しかも時代を絞れば絞るほどに出てこない…
編成を絞れば尚のこと…
とはいえ仕方ありませんね。
45年も前、しかも最末期でないとすると、もう既に半世紀が経とうとしているのですから。
そこで今回は!
・1971年をベースに前後5年に所属した車両で組成すること
・形式写真が出てきた車両から製作すること
・甲府客貨車区所属車を基本とすること
とし、編成記録に基づかない、更に言えば時代を超えてでも組成を可能とすることとし、中央東線の特徴的な車両たちを再現することにしました。
中央東線には特徴的な車両がたくさん存在していました。
今回はその愉快な面々を、客車1両1両を楽しむことをベースに製作を進めていきます。
読者の皆さまにも、中央東線の客車たちを楽しんで頂けたら嬉しく思います。
◆早速制作開始
今回は久々に製作記を書いていきたいと思います。
客車製作を進める上で、経済的な理由などから(笑)、以下の考え方で進めていきます。
①個体差がわかるものは確実に再現すること
②両サイドビューを把握することは不可能に近いため、判別不可な点に関しては、「判別できる点」に基づくこと
③妻面は最後尾に連結する可能性のある車両のみパーツ課金とすること(一部除く)
①は私の製作モットーから、いつもどおりのことですね。
②に関しては扉形状や、妻面に関してのことになります。
旧型客車は扉が4枚共に違っていてもおかしくありませんが、大抵記録として残っているのは1枚のみです。
つまり4位全てから車両を観察することは不可能に近いというわけです。
ですから、1枚の写真でわかる限りを全てとし、わからない部分は「わかる部分」に基づくものとします。
これは妻面でも言えることですね。
③は完全に金銭的なところですね(笑)
妻面端梁の電暖、蒸気暖房なども、オミットしたいと思います。
なるべく楽できるところは楽をし、金をかけなくて済むところは省略したいということです(((
しかし、目立つ点に関しては課金をしたいと思います。
非緩急車の妻面唯一の出っ張りである標識掛けと、モールドの足が太すぎる(というか二本脚が繋がって1本になっている)丸妻車の屋根上ステップはパーツ交換対象とします。
なお、元々しっかり2本脚として再現されている屋根上ステップは交換しないこととします。
と、言うわけで一通り説明した訳ですが…
今回は文章だらけで非常に読みづらいモノになってしまいました。
制作記は次回の①からスタートです。
今日は自分へのメモがてら書いてみました(爆
今回は8〜9両編成を予定しておりますが、いつかまた素材が集まってきた頃に第二編として増結の章を展開したいなぁ〜とぼんやり考えております(笑)
まぁでも先ずは今回の章をしっかり完結します(滝汗
それではまた次回。
みなさま、ご機嫌よろしく、さようなら。
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