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I love "YAMASUKA"!

I want to revive the railway Iwas longing.
That feeling is all of my hobby.
I'm happy you have me enjoy my blog!

08

奏でろ!吊掛けとカルダンのハーモニー!                 京阪1700系 ・1800系 三扉仕様 一般車化後 3種混結編成

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みなさまこんにちは。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
昨年末は作品制作に追われ、書こうとしていた年末記事は中止にさせていただいてしまいました(泣)
今年ものんびり活動していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

さて、昨年の作品を思い返してみますと、
春:京阪600系
夏:名鉄モ510形
秋:京阪1900系
と珍しく私鉄続きでした。
1900系完成後、来るサークル年会向けの冬ネタを何にすべきか考えていると、
1900系をタネとして、1900系と並べられる一般車をつくりたいと思えてきました。
また1900系のときに組み立てづらさがあり、その改善を目的とした試作を兼ね、
1700 ・1800系を作ろうと、気の赴くままに制作を始めたのでした。
このとき地獄の門を開けてしまったことを知る由もありませんでした…(フラグ)

■はじめに
今回の記事を全て編集し終えてまず思ったことは…

長すぎる!!

ので、もっと簡単に解説をしたHP版作品記事も合わせてご覧ください。

地味形式を深く知っていただきたく書きすぎてしまいました。
京阪の特急の歴史と共に1700系、1800系を学びたい方はこのままお進みください。


■実車解説
そもそも1700系って? 1800系って? なにが違うの? 1900系とどう違うの?
など、京阪好きの方以外はよくわからない車両だと思われますので、ここでまずは実車について
知っていただこうと思います。

-ここは読まなくても大丈夫ですが、読むとさらに理解できるゾーンです-
時代背景
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時は戦前…
京阪線は現在以上に急カーブが多く、また併用軌道区間もあり、高速運転での安全運行は現実離れ
しているとされていました。
そこで当時第一次世界大戦による好景気により、経営が順調に推移していた京阪電鉄は、淀川を挟んだ
対岸に新京阪線(現・阪急京都線)を新会社・新京阪鉄道を設立するとともに敷設しました。
(しかしこの壮大な計画の下に経営拡大したため、過大な資金調達が原因で経営危機に直面し、開業前
の1930年に京阪電鉄に合併されます。
夢が大きすぎてお金がなくなるところは私とよく似ています)
ここで登場するのは名車P-6ことデイ100形です。
省線には流電モハ52系が登場、京阪間では華々しくも熱い競争が始まりました。
京阪線も負けずに軌道改良や複々高架線化などを実施、流電1000系グループによる特急運転
などをしましたが、時代は戦時体制を迎え、特急は贅沢とされ運行中止を余儀なくされてしまいました。
戦時体制では陸運統制令により阪神急行電鉄との合併を強いられ、新会社・京阪神急行になりま
した。
1945年終戦、1949年には京阪神急行から分離独立、京阪電気鉄道として新発足したのでした。
しかし、経営を傾けてまで手塩にかけ育ててきた新京阪線は残すことを強いられ、新生・京阪電気鉄道
の路線図に新京阪線とそれに繋がる支線の姿はありませんでした。

新発足から9か月した1950年9月1日、社内での特急復活の機運が高まり実現、特別整備した
1000系が先頭の「特急」マークも誇らしげに走り出したのでした。
当時は朝夕のそれぞれ2本体制でしたが、これが大人気を博しました。
しかし対岸では、1949年に復活した国鉄急行に湘南型モハ80系が投入され、さらに京阪神急行
(現・京阪京都線)でもデイ100形を使用したノンストップ特急が復活しました。
対する京阪は軌道強化や変電所強化工事の最中で、スピードでの対抗はできない状況でした。

そんな中1951年、大人気の特急終日運転化と新型特急車のデビューを目玉としたダイヤ改正が
4月2日に行われました。


-ここから本題-
1700系
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上記の状況の中で、1951年4月2日、カーマインレッドとマンダリンオレンジの新「京阪特急色」
を纏い登場したのが1700系です。
当時としては一般的な構造の17m級半鋼製車体で、Mc-Tcの京阪初の2両固定編成が採用され
ています。
本系列は京阪史上最後の吊掛け駆動車になりました。

連結間の貫通扉は幅広で両開き扉になっています。
本系列は外観上、運転台寄り妻面付近で屋根の雨樋を一段低く下げてあり、デザイン上のアクセント
となっていますが、これは前面の雨樋取り付け位置が設計当時の一般的な位置であり、側面の高い
雨樋位置と浅い屋根という構成は、車両限界の小さな京阪線で側窓を完全2段上昇式として幕板に
下段もほぼ全て収納可能とし、かつ側窓高さ950mmという条件との両立を図った結果、自ずと決定さ
れたものと言われています。
つまり、この造形は京阪線を取り巻く軌道設備面の制約と、その制約の中で最大限の快適性を得る
ために技術陣が行った工夫がもたらした、機能的かつ合理的な意匠だったのです。
この意匠はその後、同様の側窓構造を備える特急専用車である1800系や1810系のほか、これらと
前後して設計された500型車体更新車にも受け継がれており、1950年代の京阪電車を象徴する
デザインの一つとなっています。
また、本系列では車掌台側窓のみ行き先表示板の交換の便を図って開閉可能な2段上昇式とし、
車掌台側標識灯を幕板に、運転台側標識灯を腰板に取り付けるという、基本的には左右対称ながら
非対称の要素を持つ独特の構成とされているのも特徴です。
(車掌台側標識灯は後に運転台側に倣った腰板位置につけなおしています)
また前照灯は貫通路上部に通常形状の白熱灯具が1灯設置されています。

本系列は7本14両が製造され、朝夕は4連で、、昼間は2連で運転されました。

本系列とともに登場し、中之島線開業までの半世紀以上も続いた、伝統の「京阪特急色」は当時の
新会社の重役がアメリカへ鉄道事情の視察に行った際に、現地の派手な塗色の鉄道やバスを見て
決断したものと言われています。
この塗装については、「当時流行したアロハシャツにちなんで"アロハ特急"との異名がついた」とも
されています。

またこの1700系時代に登場し、現在でも使用されているものがあり、それはみなさんご存じ
「鳩マーク」です。
この鳩マークは一般応募から採用され、1952年に登場しています。

大人気の京阪特急はさらなる成長をし続けます。
1953年5月10日ダイヤ改正により昼間も20分毎運転に、終発は21時に、
さらに翌年には22時台に繰り下げられていきます。
それに伴い1700系は2組が増備され、最終的に9組18両となりました。


1800系
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そしてこの1953年ダイヤ改正に合わせて登場するのが、1800系新型特急車です。
終戦後、アメリカの最新の鉄道技術が伝わってきます。
当時アメリカでは自家用自動車の普及により、都市間電鉄(インターバーン)は衰退の道を辿っていま
したが、路面電車は防音、防振、急加減速の技術を確立していました。
また軽量化についても1910年代から取り組んでおり、こうした技術の集大成として「PCCカー」を
世に送りだしていました。
日本の車両メーカーも研究開発を進め、国鉄をはじめ大手電鉄では部分的にテストを始めていました。

この当時、1700系が設計されてからの3年の間に、鉄道技術の先進国であるアメリカなどから
駆動装置や制御器、それにブレーキなどの主要機器について様々な新技術が持ち込まれ、また
戦後の航空産業禁止で流入した航空技術者たちが車体設計に関する様々な知見をもたらした影響
もあり、日本の鉄道技術、特に車両設計技術は大変革の時を迎えていました。
そこで京阪は1700系の増備を打ち切り、電機・車両メーカー各社の協力の下、それらの新技術を
盛り込んだ画期的な新型特急車の設計を開始しました。
こうして1953年7月に第1陣が竣工したのが、この1800系です。
第一編成のMc1801には東洋電機製TDカルダン方式を、Mc1802には三菱電機製WN方式を搭載
し登場しています。
本系列は日本初の実用高性能車であったため、新聞などで「和製PCC車」、あるいは「無音電車」
と報じられ、国内の各鉄道事業者や鉄道車両メーカー等から大きな注目を集めました。

ベースは1700系で、外見そのものは基本的に1700系と変わりありません。
まず登場した第一陣はMc-Mcの編成で、以降はMc-Tcとなっています。
それに伴い番号はMc車とTc車でリンクしていませんでした。
また1700系時代、昼間の乗客増時には特別整備を施した1300系を1両増結することで対応して
いましたが、見劣りや乗り心地などの観点から評判が悪かったため、本系列は当時将来の5連化を
考慮し増結車4両が製造されたことが特徴です。
この増結車は編成の前に連結することから、妻面貫通扉が従来の幅広(1300mm)から720mmと
されているほか、運転台を持たないが丸妻・丸屋根構造にされており、増結時のスマートさを
求めたデザインとなっているのが特徴です。

また本系列では京阪特急の代名詞とも呼ばれる「テレビカー」が採用されたことも大きな特徴です。

この結果1700系・1800系は2両固定13本、増結車(1300系含む)7両の33両体制
となり、特急用の1000系流電とともに京阪の特急運用を担うことになりました。
しかし両系列の特急時代は長くは続かず、1956年に製造された18m級車1810系に置き換
えられたのに続き、1810系の増備車と入れ替わる形で1700系が順次、さらに1962~
1963年には1900系に追われ1800系が2扉のままロングシート化され、急行以下の種別
の運用に転じました。
またこの頃に1810系のうち空地ばね台車を装備していなかった中間電動車2両が1800系
に格下げ編入されています。

なお、淀屋橋延伸直前の段階では、両系列は臨時特急への充当の可能性があったことから、
1800系全編成と1700系5本は特急色のままでしたが、1700系4本については2扉
のまま一般色に塗り替えられました。
なお、塗り替えられた4本についても、淀屋橋延伸後に両系列を用いた臨時特急が積極的に
設定されたことから、再び特急色に返り咲いていることを、説明添えさせていただきます。


-ここからモデルの時代の説明に入ります-
一般運用時代と3扉化改造
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さて、全編成が特急色に返り咲き、その後も円満に…と続けばよいのですが、そうとも行きません
でした。
当時既に初の冷房搭載車2400系が登場しており、臨時特急への起用化が徐々に本格化してい
ました。
そして2400系が本格的に臨時特急に充当されるようになったことを受け、1966~1967年
3扉化、さらに一部車両の運転台撤去が行われ、塗装も一般色となっていきました。
以降はひたすら通勤車として、両系列は脇役へと転じました。
1800系は昇圧対応車2代目1800系(車体は600系)への機器転用のため、1981年、
1982年に、それぞれ7両ずつが廃車、1700系は1983年3月に竣工し6000系第1陣
20両と置き換えられる形で16両が廃車、残る14両も6両が検査期限切れで昇圧工事実施
直前の同年12月1日に運用を終了、それ以外は昇圧前日の12月3日をもって全車が営業
運転を終了、翌日付で14両全車が廃車となり、その後解体されました。


■Bトレとして復活した名脇役
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今回のモデルは1900系特急車に合わせ、1970年代初頭としました。
編成は以下の通りです。

←京都・三条        大阪・淀屋橋→
1758-1788-1752-1702+1882-1881-1809

運転台を撤去した1700系4連に京都方に1800系3両を増結した本線用7連です。
この編成でポイントとなるのは
・1700系の運転台撤去再現
・1800系Mcは増結車である
・1810系からの格下げ車2両が入る
ところですね。
なお、実際に記録のある編成でないことは事前にご了承くださいませ。
この編成を選んだ理由は以下の通りです。
・1700系側、1800系側でそれぞれの編成記録は実在している点
・実際に近い組成をされた写真を見たことがある点
・ドンピシャの時代の記録がない点
1700系、1800系は編成ごとでは固定だったものの、実際に長編成を組む際
にはさまざまなバリエーションを見せていたことも魅力です。
これもまた模型の楽しみのひとつですから、今回は想定の中での編成にしています。

それでは以下は形式の登場順により、編成ものは京都方から各車の解説に入ります。

Ⅰ,1700系グループ
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Tc1758
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1900系のときとは違い、このゴツイ顔にパンタなしというのが特徴です。
パンタやその周辺の配管がないため、大きな前照灯と無線アンテナが目立ちますね。
すっきりした屋根上とは変わり、前面下部にはジャンパ栓を収納する箱とエアーホース
があり、そのギャップにも魅力を感じざるを得ません。
この顔は2回目の制作となりますが、1900系のときよりも標識灯の配置や、窓の位置
が実車に近づいた気がします(笑)

Mo1788
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運転台が撤去され、スッキリした…というかのっべらぼうになっています。
パンタ周りの配管は、登場時に比べ大変騒がしいものに改造され、まだパイピング慣れ
していない私には厳しい作業でした(滝汗)
本車両は運転台を撤去する前はMc1708を名乗ってましたが、中間車化がなされた際に
他系列の中間車の付番に合わせて80番台に改番されました。

To1752
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こちらは付随車と化した元制御車ですね。
屋根上、前面ともにスッキリしすぎていて寂しさすら感じます。
なお他系列の付随車も50番台を名乗っていたため改番はされていません。
前照灯、標識灯、前面車番などの前面機器に加え、側面では乗務員室扉横の手摺や
把手の撤去をしています。

Mc1702
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1700系の京都方先頭を務めるのは制御電動車になります。
運転台撤去車とは異なり、騒がしい配管にさらに前照灯や無線アンテナを設置している
ため屋根上が大変に大変に騒がしくなっています(笑)
1700系は前照灯が通常の円柱型のため、土台も含めると他系列よりもゴツイ印象を
受けますね。


Ⅱ,1800系グループ
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 a,純正1800系
Mc1809
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この編成の最も京都方に連結するのはこの車両にしました。
1800系実車解説でちょこっとだけ出てきた増結車タイプになります。
なお4両製造された増結車Mcグループのうち唯一の奇数車ということで、この車両のみ
が京都を向いていることになります。
増結車の特徴は妻面の丸妻・丸屋根です。
今回も前作Mc1914と同じく、1900系セットの中間車用についてくる(?)丸妻パーツを
使用し、屋根は丸屋根を切り継いで制作しています。
前作では丸妻の妻面窓は資料がなかったため他車と同じ段付きタイプと一枚窓タイプ
を1枚ずつ取り付けましたが、1800系については特急時代の妻面の写真があったた
め、今回はその写真に基づいた両側共に一枚窓としてみました。
実際に一般車改造後も仕様は変わらなかったのか、それとも変わっていたのか、
まさに真実は闇の中…というわけです。。。
また本系列から前照灯が砲弾タイプに変更されていますので、編成両端で異なる前照灯
を見ることができます。
スマートな砲弾タイプは次代の1810系まで受け継がれることになります。


 b,1810系格下げグループ
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このグループは1800系の後継車で18m級車体バージョンである1810系の付随車
として生まれ、仲間たちが1900系に編入される中、空気ばね台車を装備していなか
ったために1800系に格下げ編入された2両の悲運の車両たちです。
両車は1963年に2扉・特急色のままロングシート化とテレビ撤去され、1966年には
3扉・一般色化が行なわれましたが、増設した扉は片開きでした。
なおこの3扉化の際に1900系電動車 1985・1986の電気機器を用いて中間電動車化
され1871・1872に改番されましたが、1967年には1881・1882に再改番
されています。
なお、この際に付番された両番号はそれぞれ2代目となっています。
両車は同じ1810系として生まれましたが、登場時から異なる形態を持ち、最後まで種車の
面影を残していました。

M1881
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18m級の切妻形状で登場した同車は、登場時は付随車で座席は全席クロスシートだ
ったため、妻面窓は天地方向が狭いタイプでした。
1810系が1900系に編入されるまでは金属ばね台車を履いたまま特急運用に混ぜられて
いましたが、編入の選に漏れ、以降は1800系の仲間として運用されるようになりました。
1900系(1810系編入車含む)のロングシート化の際は、妻面窓の天地方向が短いも
の(付随車)は一般的な大きさ(下辺を250mm下げ)に変更されましたが、同車は変更さ
れることなく「オールクロスシートの特急車」の姿を残していました。
当時の京阪電車は時間帯や需要により編成の長さを加減していましたが、1700系・
1800系で採用された広幅貫通扉は運用の自由度に制限ができてしまうため、1810
系は一般的な狭幅タイプに戻されました。
同車も系列のルールに基づき狭幅だったため、編成同士の中間に挟まれたり、1800系
増結車の次位に連結され運用していました。

M1882
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1881と同じく18m級切妻仕様の付随車1887号車として登場していますが、こちらは
1810系列で唯一の広幅両開き貫通扉という仕様でした。
前項で1810系は運用の自由度を広げるということから狭幅貫通扉に変更されたと書き
ましたが、同車は1800系の1801-1802の編成の中間車として製造されたため、この
ような唯一無二のかたちとなりました。
しかし1700系、1800系列内であれば編成の自由さを誇った両車の仲間でありながら、こ
の車両のみは1801-1802の編成の中間にしか組み込めないということから稼働率は低く
なってしまっていました。
1962~1963年、1810系の1900系編入が行われた際には、後の1881と共に選に
漏れ1800系に格下げ、時には同じ広幅貫通扉を持つ1700系の中間に挿入されていました。
その後2扉のまま1852号車に改番されましたが、使いづらさは払拭されず稼働率は低いまま
でした。
1966年、1900系 M1985・M1986をT車化して(前作1900系も記事も参照)捻出
した主電動機を移設し電装、M車化、さらに同時に三扉改造と問題の貫通扉の狭幅化
を実施し、1972に改番されました。
以降は1700系・1800系の長編成化には欠かせない車両となり活躍、改番から1年後には、
1900系新造車の付番ルールに従い最終的な車番となる1882に改番されました。

同車もまた1881が妻面窓の改造がなされなかったのと同じように、オールクロスシート時代
のまま天地方向に狭く、また広幅貫通扉時代のままの狭幅窓という極小窓仕様となっていた
ことが特徴で、2両のみの18m級車体車は2種のバリエーションをもつ、それぞれが唯一無二
の存在になりました。
時の新型特急車として生まれ、しかし運命に恵まれなかった2両は、半世紀のときを経て模型
映えする2両として復活を果たしました。


■1700系と1800系の違い
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一見そっくりな両車、しかし実は違っているんです。
Bトレでも再現できた見分けポイント…まず1つ目は前照灯です。
1700系では一般的な形ともいえる円柱型の前照灯ですが、1800系では砲弾型になっています。
Bトレでは前照灯、無線アンテナ、パンタグラフと、狭い面積にたくさんの機器を載せなければならな
いため、1700系は特にいっぱいいっぱいですね。
逆に前照灯台座がない分1800系では少しばかりすっきりした印象を持ちます。
個人的には1700系のごちゃごちゃ感は好きです(笑)

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2つ目はベンチレーターです。
1800系では1900系でも使用したメッシュがあるタイプのものと同じでしたが、
1700系はメッシュがないタイプだったため、他車のパーツを改造し取り付けています。
この写真を見ると屋根にもたくさんのバリエーションがあることがわかりますね。


■1700系・1800系をBトレ化する上での解釈
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今回制作した時代の1700系、1800系の大きな特徴はやはり両開き扉でしょう。
今回のショーティー解釈はその両開き扉を入れる、つまり運転台から中央の扉とその戸袋窓に
お尻の窓を繋ぐものにしました。
両開き扉の両サイドは戸袋となるわけですが、この部分の窓は扉ともかぶりますので埋められて
いたのが特徴です。
しかしここで1つも矛盾が発生します。 それは社紋の配置についてです。
京阪の車両には海川共に、車体を真正面からみた左側の扉の左下に社紋を配置してあります。
つまり今回のショーティー解釈では片面は両開き扉の左下となってしまいます。
ですが両開き扉の両サイドは窓が埋まっているため、窓のない下に社紋があることになってしまい
ます。
社紋があるのは窓の下でもあるため、ここに違和感を感じたのです。
そこで今回は両開き扉の左横には社紋を配置しないことにしました。
これについて、共に京阪に取り組んだメンバー・たくっち氏からは賛同を得るとともに興味深い
見解を示してくれました。
「Bトレは社紋と車番については矛盾が生じることを許容しているんです。小田急一般車は
一つの窓の下に社紋と車番が同時に存在しているんです。でも実車はそうでない。ユーザーによ
っては車番のみを選ぶ人もいるけれど、バンダイや鉄道会社自体は両方をいれる解釈をしてい
るんだ。」
なるほど、つまり両開き扉の左横に社紋を配置しても解釈上の「間違え」にはならないのですね。
つい頭を固く、こういうものだど考えてしまっていましたが、よく考えれば面白い話を聞いた
ものだと感じました。
どこかを省略しなければならないBトレでは、場合によっては矛盾を矛盾としないこともアリなの
だと改めて考えますね。
こうしてもう一度モデルをみると、どちらがよかったのかなぁと思うものです。
余談ですが、今一度こういった基礎的なことを指摘してくれる仲間がいるというのは大変に
ありがたいものだと日々痛感させられますね。

■妻面のバリエーション
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今作で最も特徴が出るのは妻面でしょうか。
1700系の幅広両開き扉、1800系増結車の狭幅、1881号車のオールクロスシート車仕様妻
窓、1882号車の極小窓、全て1900系セットに入っていた妻面から作っています。
一番目立たない点だからこそ作る、だからこそ実車が伝えられるものだと思って頑張りました。
おかげ様でどの車もお気に入りです。

バリエーションの話からは逸れてしまいますが…
1900系を制作した際に1810系から編入したグループについては妻面の上辺に屋根のカーブに
沿った雨樋があることが確認できたため再現をしました。
そこで1700系や1800系について調べてみると登場時は同様のものがあることが確認できましたが、
一般車化後の写真を見ると明らかに無くなっています。
光の加減なのか…とも考えましたが、曇りの日の写真でも確認できませんでしたし、そもそも晴れの日
であれば角度によっては雨樋の影が確認できるはずでした。
「今回は雨樋がないじゃないかー!」のお声を頂く前に念のため(笑)
こういった改造も京阪らしいですね。


■セクシーだけど困った配管
DSCF5593_convert_20180216213011.jpg
今回の編成の中では電動車は各型式にそれぞれありますので、それぞれの配管を調査しパイピング
するという恐ろしい工程がございました。
1700系に関しては屋根を真上から写した写真がありましたが、そのほかの車両は側面から判断
するしかありませんでした。
1700系は登場時と比べて大変に大変なことになっていることが判明(涙)、1800系はほぼほぼ
(完全に?)1700系と共通となっているようでした。
屋根上機器配置の変更について明確な記述はありませんが、1900系が一般車改造の際に変更
していることから、1700系、1800系も一般車(三扉)化の際に変更したと仮設がたち、ならば
以降共通で使用する車両なら出来る限り共通の仕様にすると考えました。
さて、この仮説は正しいのでしょうか…?(笑)
1810系格下げ車に関しては1900系の3扉化後の一部の車両と一部分が同じようになっている
ことがわかりました。

この配管についてもわかる範囲についてはそのまま表現し、残りの部分は1900系を参考に予測
しての制作となってしまいました。
それにしても1700系、1800系の3本並走部分は難しかったです。
毎度毎度目も当てられないような出来ですが、いつかうまくなることを夢見て頑張ります。。。


■Mc1809とM1882の関係
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さて、最後に二股を掛けた罪深い1801-1802のお話をしたいと思います(笑)
1800系では4両の増結車がつくられましたが、各車ともに名義上のペアがありました。
実際に増結する際には必ずともこのペアの法則が成り立つわけではありませんが、1801-1802
の編成には唯一の京都方増結用として誕生した1809号車がペアとして製造されています。
しかしこの編成は後にもう一両のペアを作ります。
それが後の1882号車となる1884号車でした。
なぜ車長も違い、さらにいったん編成をバラさなければ連結できない増結車を作ったのか、その
理由は歴史の闇の中といったところなのでしょうが、その答えを実に知りたいものです。
この2両は後に一般車改造され、今回制作の編成のように重複する形で製造された車両同士で
手を繋ぎ快走するシーンがあったそうです。
JTBパブリッシング「京阪電車」では『運命の悪戯』と述べられていますが、まさにその通りですね。
今回はそんな「運命の悪戯」を再現できる編成にしました。


■反省
今回の反省はブログを長く書きすぎたことですかね(おいっ)


次回は4月以降となる予定です。
次作はちゃんと終わらせることが目標です(?)
それではまた。
まだまだ寒い日が続きますので、お体にはお気をつけてお過ごしください。



【参考文献】
・JTBパブリッシング 「京阪電車」
・JTBパブリッシング 「京阪特急」
・Wikipedia 「京阪1700系電車」
・Wikipedia 「京阪1800系電車」
・Wikipedia 「京阪1900系電車」
・他インターネット公開の写真
先人のみなさまの大変貴重な資料、文献の公開に心から感謝し、
僭越ながらここにて御礼を申し仕上げます。
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2Comments

山添三十朗  

お久しぶりです

先日の運転会ではお世話になりました。
作品の完成、おめでとうございます。
数々の資料に裏付けられた濃密な作品やその解説は、見るだけで楽しいものがあります。

社紋やモデルの短縮デザインなど、ショーティ故の問題は興味深いですね。
スケールは実車という答えがありますが、ショーティにとって実車は参考にしかならず、最後は製作者のセンスがモノを言う。
そこがまたショーティ改造の面白さだと思います。

長文失礼いたしました。
次回作も楽しみにしております。

2018/02/17 (Sat) 12:52 | EDIT | REPLY |   
ほつ太朗

ほつ太朗[家]  

Re: お久しぶりです

山添三十朗さま

新年運転会の際には大変お世話になりました。
先日は新ネタを完成させられずに情けない結果となってしまったことは、今思い返しますと大変は恥ずかしく感じます。
次回ご一緒させていただく際には完成した姿で新作を持ち込めますように努力します(笑)
 
> 社紋やモデルの短縮デザインなど、ショーティ故の問題は興味深いですね。
> スケールは実車という答えがありますが、ショーティにとって実車は参考にしかならず、最後は製作者のセンスがモノを言う。
> そこがまたショーティ改造の面白さだと思います。

ショーティーするにはどこを削ってはいけないのか、またどこなら削っても差し支えないのか、各部パーツの取捨選択には毎回頭を悩ませられますね。
Bトレだからこその楽しみでもあり、悩みの種でもある永遠の課題ともいえると思っています。
いかに個体での差異を楽しめるかを考えると尚悩ましい点です。
個人で答えを出すも吉、仲間と語り合うも吉、Bトレにはそんな楽しみ方もある気がしますね。

今年のラインナップは山添さまとぜひ並べさせていただきたいものになる予定です。
いつもご覧くださいましてありがとうございます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2018/02/19 (Mon) 02:44 | EDIT | REPLY |   

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