
みなさま、おはこんばんにちは。
これまたご無沙汰となってしまいました。
近頃は一気に冷え込み、秋らしくなってきましたね。
私の周りでは早くも風邪をひく人がちらほらしてきました。
私も含め、油断せず体調管理は万全にしなければなりませんね。
当ブログにお越しいただいた皆様もどうぞご自愛ください。
■秋は紅葉を見に行きたいね。京阪特急で。

秋といえばみなさまは何を思い浮かべるでしょうか?
おいしい食べ物? それとも運動会? ハロウィン?
私は一番に紅葉が浮かびます。
気持ち良く晴れ渡った青空の下に綺麗に色づいた木々たち。
暑さも和らいで、ついついお出かけしたくなってしまいます。
最近は紅葉の時期が短いのか、ただ休みが合わないのか見に行けていません。
今年こそはいきたいなぁ。
こんな時期にとてもよく似合う電車があると思いませんか?
マンダリンオレンジとカーマインレッドのツートンカラーの特急電車で
紅葉でも見に行きたくなりませんか?
ぎょろぎょろした目玉の伝説の特急車、今でも絶大な支持を集める特急車、
…そう! 1900系に会いたくなりませんか!?
今回はそんな1900系のお話です。

1963年4月15日、この日京阪電鉄は天満橋~淀屋橋間を延長、
創業以来半世紀の夢を叶えたのでした。
そして、この記念すべき日のために揃えられたのが、この1900系です。
揃えらえた、という中途半端な表現なのは、本系列が純新造車28両と、
既に1956~1958年に登場していた1810系からの編入車17両の2グループから
構成されていたからです。
(JTBパブリッシング「京阪電車」の表現が最も正しいと感じたため、1900系の項の
表現をそのまま使用させていただきました。)
京阪の特急用としては1700系、1800系(1810系を含む)に続いて3代目になります。
当初は総勢41両でしたが、1964年に6連化と電動車比率を上げるため
中間電動車を4両増備、最終的に45両となりました。
乗客からの評判も上々、さらにこの常に異形式併結をしているような編成が
ファンからも人気を博し、1900系は時の車輛となりました。
しかし1969年には関西民鉄初の冷房搭載車2400系がデビュー、
続いてこちらも冷房搭載の5000系がデビュー、1900系は特急車なのに非冷房というこ
とからサービス上の問題が囁かれるようになりました。
そこで京阪は1971年夏の特急15分間隔化の増発に伴い、不足する特急車を補うため
新型特急で冷房搭載の3000系を投入しました。
サービス観点から1900系は乗客に嫌われ、始発駅では1900系の特急を見送る客まで
出始める程でした。
そこで京阪は急ピッチで3000系を増備、それに伴い1900系は1972~1974年にかけて
一般車改造を受け、特急運用からは離脱していきました。
このあとも様々な生涯を送る1900系ですが、このあとのことは一般車化された1900系
を制作した際に書こうと思います。
■Bトレで制作する1900系

今回の時代設定は1971年です。
この頃の1900系は以下のような改良が施されていました。
Ⅰ、列車無線使用開始に伴うアンテナの設置
Ⅱ、3000系導入に伴う成田リコ式ステンレス幌への交換と幌吊の撤去
Ⅲ、編入車前照灯の2灯式シールドビームへの交換(特急時代は全車に及ばず)
Ⅳ、屋根のグレー塗装化
Ⅴ、中間電動車の電装解除(1985、1986→1958、1959)
なお、Ⅱ項のステンレス幌への交換は、異常時に3000系と併結した際に使用するものとして
交換が実施されましたが、訓練も含めて一度も3000系と併結することはありませんでした。
編成は以下の通りで、1971年8月15日に記録されたものです。
←京都・三条 大阪・淀屋橋→
1909-1984-1914-1913-1923-1959-1924
この頃3000系に合わせて一部の1900系は7連で運行していました。
なおこの記録が私が所有する格下げ改造直前の最後の記録となっています。
今回種として使用したのはスルッと関西から限定発売されたBトレ1900系です。
しかし以下の観点から一体化改造や、前面窓を鉄コレから移植するなど、
かなり複雑な改造となりました。 下へは今回制作した各型式の問題点を書き記すこ
ととしますが、個人的な観点のためあたたかな目で見守るとともに反乱は起こさない
ようにお願いいたします(笑)。
なお、製品の1900系はそもそも冷房改造後の1919Fを作るための商品であり、
そこにおまけパーツとして非冷房時代の顔や屋根をつけてくださったバンダイ様へは
感謝しかありませんし、否定するつもりはございませんので、その点はご理解頂けれ
ばと思います。
1900系として楽しむには大変に優秀な金型かと思っております。
A、編入車Mc

a、前面窓が天地方向に短い
b、a理由により標識灯の位置が高い
c、乗務員扉付近の雨樋の曲がりの再現が控えめ
d、c理由により前面オデコ部が広くなってしまっている
e、前面幌の取り付け穴開口のため、前面窓が欠けている
f、成田リコ式幌パーツを取り付けた際に、幌取り付け穴を隠し切れない
g、3扉化後の再現のため特急時代の戸袋窓の配置と異なっている
h、妻面昇降手摺を設置する際に側面パーツを跨いでまう
i 、製品のベンチレーター配置ではアンテナの設置位置に矛盾が生じる
j 、大阪向き妻面しか付属していない
B、新造車Mc

A-a、b、e、f、g、h、i 、j に同じ
C、新造中間車

A-h、i、j に同じ
各項目を克服するにあたり、まずは一体化が前提となり、さらに一体化に伴い
窓の白化を考慮し前面窓はくり抜き鉄コレ製品のものに取り換え、標識灯は
パーツに交換など、内容はかなりヘビーなものになってしまいました。
秋は簡単なネタとするつもりが、年末向け級の今までの経験総動員のものになってし
まいました。。。
■各型式を見てみよう

前置きが大変長くなりましたが、ここから各型式の解説へと入ります。
なお、監督官庁への届け出が「型」から「形」へ変更されたのは1986年で、
当形式はそれ以前の登場車種ですので、今回は型の字を使用します。
【これ以下へ進まれる勇者のみなさまへ】
当形式は登場から既に半世紀以上、今回制作年代についても46年が経過
しており、当時の人気車種であったことから、同年代車両と比べるとかなり多くの
記録がでてきてはいますが、それでも模型製作にはかなりの考察と水量を要しました。
今回の制作について、競作のたくっち氏と数十冊の本を数時間にわたり眺め、論議
し出た答えを元に制作をいたしました。
そのため一部実車と異なってしまった部分があるとは存じますが、温かい目で見守
てくださるようお願いをいたします。笑
なお、間違っている点について、正当のものをご存じの方はコメント欄にてご教授く
ださればと思います。
また万が一当ブログの考察を参考に1900系を制作される方はいないとは思いますが、
もしももしももしもいらっしゃるのでしたら、一言コメントを頂ければと思います。
それでは勇者のみなさまお待たせいたしました。
共に1900系の世界へと進みましょう。笑
以下の解説は上方(京都方)より進みます。
また編入車には(編)、新造車には(新)と入れることとします。
☆Mc1909 (編)

今回の編成の京都方先頭を務めるは1810系からの編入車グループMc1909です。
ウェイトの位置がズレて運転台部から顔を出してしまっている状態で写真を撮って
しまったのが惜しいですね。笑
当車両は既に前照灯が交換され、他社では見られない特殊なものを装備している
ことがお分かりいただけるかと思います。
製品では前面パーツに頭についていた前照灯をいったん切り離し、一体化後に取り
付けなおしています。
またレンズ部をクリアー化することでリアル感を得ることができました。
前述の理由により雨樋関係は全てつけなおしています。
乗務員扉上部の曲がり具合は苦労しましたが、オデコの狭さと共に実車に近づいた
ため満足しています。
京都方にくる車両はジャンパ栓がおとなしくスッキリした印象を持ちますね。
☆M1984 (新)

2両目は新造車の中間電動車が入ります。
中間付随車は編入、新造共にいますが、中間電動車は全て新造車で統一されているの
が特徴です。
またM1985、M1986が電装解除されてしまったため、たった4両の少数派にとどまっています。
中間電動車は台車に取り付けられているモーターの検査のため、車両両端がロングシートと
なっています。そのため妻面窓も側面とほぼ同じ大きさとなっています。
これは制御電装車(Mc)でも同じことです。
パンタ取り付け側の大阪方には入換用の簡易運転台があり、それに伴い前照灯が取り付け
られています。
この車両は妻面窓を一番初めに入れた車両ですが、若干大きく開口してしまったため、窓付近
が汚くなってしまったことが反省点です。
☆Mc1914 (編)

3両目はテレビカーとなった1914です。
屋根上に装備されたアンテナと側面の大きなロゴも特徴ですが、この車両には更に大きな個体
差があります。

左が1909、右が1914です。
1914は連結面も丸妻でした。
これは1810系時代の京阪における風潮に由来しています。
1810系のうち、1815、1816号車は増結用の両運転台車とされましたが、
更に続けて第二次量産で1888、1889、第三次量産で1890、1891を増結用車両と
して製造し、このうち1888と1891は丸妻でした。
この頃の京阪では増結時のスマートさを求め、1800系以降の増結用車両は基本
的に連結面側も丸妻としていました。
(上記1889と1890は切妻でした。)
そのため編入の際に増結用という任を解かれたあとも名残として、この丸妻が残
ってしまったのです。
なお、1988は後に唯一の制御車Tc1950に、1891はこの1914となります。
今回製品には編入車を後に中間化改造した車両を組み立てられるように、丸妻(元運
転台)仕様のものが付属していましたので、こちらを使用しています。
なお、一般化後で昇圧前に、編入車の運転台側窓はHゴム固定に改められるため、
今回のパーツもHゴム仕様となっています。
今回の制作の際にはHゴム窓を一般の妻面と同じ大きい窓に拡大しています。
またこの1914は特急時代にシールドビーム砲弾型前照灯に交換されなかったグループの1両
です。
当時は未交換車両のほうが人気があったのでしょうか。
ギラギラ輝くステンレス幌とのギャップがまた良い味を出していますね。
☆1913/1923 (新)

4,5両目には新造車の制御電装車が繋がれます。
1923はテレビカーです。
見た目こそ新しさを感じますが、1810系編入車を踏襲したため当時の水準からすると、
新造高速特急用車両としてはいささか物足りないものがあったと伝えられています。
編入車と比べると、ノーシル・ノーヘッダーのため側面がスッキリし、また前照灯も2000
系に始まる左右2灯に分かれたスタイルに変更されたほか、運転台下部のステンレス製
のバンパーが大きな特徴となっています。
なお、このバンパーは装飾的な意味でのもので、名鉄パノラマカーのような伝説は残
していません。笑
製品通りの戸袋窓の位置だと、特急時代とは異なってしまいまうので、拡大・縮小を
行い、この時代にあった側面配置としています。
☆T1959 (新)

この車両は前述の電装解除車にあたる1959号車です。
電動車比率が低かった1800系への電動機装備のため、1966年に1900系の中間
電動車2両を付随車化した、と伝えられていますが、当時1900系も電動車が不足
気味だったそうです。 性能的な面から1900系が選ばれたのでしょうが、まさか時の
特急車を電装車不足にしてしまうとは…おそるべし…笑
この車両については屋根上を撮った記録がありませんでしたが、一枚だけ何とか
横から屋根の様子を伺える写真を発見。避雷器やヒューズなどの背の高い機器は
ないものの、ランボードやそこから突き出ている機器や、ひょこひょこと屋根を凸凹
するものを見ることができましたので今回はこのような解釈としました。
T車は電動機がなく床下に点検蓋を設ける必要がないので全席がロマンス
シートとなっていましたが、この車両は元電動車のため車端はロングシートとなって
いました。 そのため妻面窓は電動車仕様の大きい窓となっています。
☆Mc1924 (新)

編成大阪寄りに来るのは新造制御電動車の1924です。
このかわいらしい顔にごちゃごちゃしたエアーホースがたまりません。
新造車については生まれ持っての個体差はないようで、奇数車に基づいた加工となっています。
バンパーはHASEGAWAのミラーフィニッシュを使用し、実車通りギラギラしら出来にしてみました。
■編入車と新造車を比べてみる

左に編入車、右に新造車を置いてみました。
側面での大きな違いは戸袋窓とウィンドシルの有無でしょうか。
まず戸袋窓ですが、編入車は大きな窓となっていて、ほかの窓と大きさは変わりませんが、
1枚窓となっています。 また保護棒が設けられています。
新造車では小型のHゴム窓になっています。 また保護棒は戸袋窓の部分には設置されて
いません。
次にウィンドシルですが、これは気が付きやすい違いですね。
前述の通り、特急車としてはこの新造1900系からノーシル・ノーヘッダーとなっています。
他にも当然といえば当然ですが、形が異なりますので、雨樋の回しが異なっていますね。

次に妻面です。
編入車では縦樋や屋根の曲線に沿った雨樋が設けられているのに対して、新造車では
妻面の雨樋が外に露出しない設計となっていたようです。
編入車の手摺は雨樋を跨ぐようになっているのが、個人的にはそそります。笑
■山側、川側で統一されるパーツ

京阪では京都を向いて左手側が川側、右手側が山側とされています。
京阪の車両は整備面での利便を考慮してか、一部のパーツが山川統一されています。
上の写真では左に奇数車、右の偶数車を置いてみました。
固定窓が川側に、また固定窓と同じく川側に昇降手摺が設置されているのがお分かり
頂けると思います。

次に運転台側の屋根上を見てみましょう。
1900系はデビュー時は側面に屋根上昇降用のステップが取り付けられており、その延長
線上屋根上に手摺が取り付けられています。
側面ステップについては1960年代後半に撤去されたようですが、屋根上のステップは残
っていました。
このステップについても川側に統一されていました。
以上のことから、屋根上へ昇降するパーツ類は川側に統一されていたのではないか?
という考察ができますね。 実際はどうだったのでしょうか。
■屋根上へのこだわり

製品の屋根はたくさんのベンチレーターが敷き詰められていて、これはこれで見ごたえ
があるのですが、実際は中央に1セット配置されたベンチレーターを中心に等間隔に配置
されています。
また製品の間隔ではテレビアンテナ設置個所が実車と矛盾してしまうため、今回は配置を
変え、それに伴いパーツへ交換しました。

なお、テレビアンテナを装備するとこのような形に。
製品配置のときよりもゆとりが出て、実車に近づいたかと思います。
今回テレビカーロゴにつきましては、KS-77さまに制作していただいたものを使用しています。
大変恐縮でございますが、この場で御礼申し上げさせていただきます。
■奇数車と偶数車を見比べる

まずは編入車です。
なんだか右においた偶数車が歪んで写ってしまっていますね。汗
やはり目立つのはエアーホースですね。
編入車は大きな箱が設けられて、そこからエアーホースが伸びる形になっています。

こちらもやっぱりエアーホースが目立ちますね。
…というかそれしか特段変わりありません。笑
正面から見ると目立ちますが、オデコのぴょろんが耳のように見えてかわいいですね。
■1900系特急を華やかに彩る

今回もやはり制作しました、副標。笑
今回も着脱式のものとしており、裏は「臨」としています。
前回の600系のものよりも薄型にすることができました。
運転会ごとに異なるものをつけたり、並べたりしたいものですね。
■反省

長くなりましたが、最後に今回の反省をしたいと思います。
今回の大失敗は保護棒です。
写真ではわかりませんが、というか仕上げ方に問題がありわからないのですが、
今回割りピンによる固定としてみたのですが、接着剤を適当に流しこんだせいで、
割りピンの姿がみえなくなり、当初はスマートな出来となる予定が、大変不細工な
ものとなってしまいました。
何事も丁寧にということですね。。。
今回がかなりヘビー級なものとなってしまいましたが、無事形になりホッとしています。
かなり面白い形式であり、京阪で一番好きな車両なので、もっと腕を上げて再挑戦
したいと思います。
次は冬…年会だぁ。。。(白目)